2021年11月19日金曜日

SingralrityのSPEED RUNの準備について

 Singularity(以下ギュラ)のRTA(SPEEDRUN)に挑戦する奇特な人向けのメモです。


1.区間練習方法について
ギュラは温かみのないオートセーブ方式を採用しており、かつ任意のセーブロードができない仕組みですので、特定の区間のみを練習する、、といったことは行えません。

なので、特定の区間のセーブデータを保存しておき、必要に応じてそのセーブデータを最新のセーブデータと認識させる必要があります。

当方の環境は、STEAMのデフォルトインストール環境ですので、その環境に即した説明をいかに記載します。(それと異なる環境でインストールを行った場合は知りません。)

(1)セーブデータの保存フォルダの場所C:\Users\○○○○\Documents\Singularity\RvGame\SaveData
※○○○○は自身のログインアカウント

(2)最新のセーブデータの名前
Player0.ue3profile

(3)つまりどういうこと?
以下のようなバッチファイルを、(1)で保管し、繰り返したい区間のセーブデータをHOGEHOGEと命名しておけば、バッチファイルを実行することで何度でも同じ区間を繰り返すことができます。

  DEL Player0.ue3profile
  ren HOGEHOGE Player0.ue3profile
  copy Player0.ue3profile HOGEHOGE

(4)猫だからわかりません。
 わかれ。


2.グリッチについて
この作品で実行できるグリッチの種類は大別して2つあります、それぞれ以下で説明します。

 (1)チックジャンプ
フェーズチック(以下チックと呼称)をつかんだまま下を向くことで発生する空中浮遊です。ロシア勢がこのグリッチについてなんと呼称しているのかわかりませんが、仮に「チックジャンプ」と呼称します。

 1)ジャンプの目的
本来到達できないセーブポイントをジャンプにより踏むことを目的としています。オブジェクト生成ポイントも必要に応じて踏みます。

 2)ギュラの注意すべき挙動
内部的なマップをまたいだ時に自身のステータスが参照されることがあります。ステータス参照により発生する事象の一つに持ったままのチックが爆発四散します。
なので、内部マップをまたぐ際には必ず一時的にチックをリリースする必要があります。

※ステータス参照による発生する事象として他にはシーカーの保持をチェックされ没収されることがあります。

下水落下後からジャンプするものが最もメジャーですが、失敗したらやり直しができないので、船からの復帰直後などで練習すると良いでしょう。まずは飛んでみること、です。

 (2)手すりジャンプ
E99bomb(E99爆弾)をチャージするための研究所内でのみ利用するバグです。特定の手すりの前で前方向(W方向キー)を入れておくと勝手に上方向に前方向入力が変換され手すりの上に乗ることができます。
原理は不明ですが、同様のバグは研究所内の手すりでしか行えないとされています。
もし研究所以外で手すりなどの上に乗れるようであれば、短縮が見込める可能性があります。
 (オブジェクトのコリジョン判定はすべて7KGAMESさんが検証しているようです。)

参考動画
 7KGames
https://youtu.be/qrogvDt5AHc

あまりにも早すぎてセパレートされている動画。タイムがないのでそういう扱いなのか不明です、なおここで行われているすべてのグリッチは再現できますが、ほぼすべてのグリッチの再現性が低いため、できるところからランに生かすといいと思います

2018年12月19日水曜日

俺が秋葉原でmodチップを売っていた話

今から17年前、学生だった私は夏休みを無為に過ごす事に危機感を覚え、バイトに精を出していた。

それは、秋葉原の露天商。
バイト先の社長が二束三文で買ったものを手数料つけて売る仕事だった。

初日、先輩と共に働いていたが、目を引いたのは、青色の小さな箱、3000円。
「これが何かは知らないけど、値段がついている」「そういう体で。」
先輩はそう言うと翌日以降私一人で任されたのであった、、、

この小さな箱は、当時は、ゲームラボやらの雑誌で何度か見た。
ps1ではご存知の方も多いと思うが、物理的にコピー対策をかいくぐることができた、特別な道具を必要としなかったこともあり、大変流行した。

そのps1の後継であるPS2では、コピー対策をかいくぐる為には本体の改造が不可避であり、それを実現するものが、この青い箱に入っている、modチップ、であった。
何も、何も、面白くもない話だが、そのチップはひと夏の間売れることはなかった。

とにかく私が怪しいのか、客がこないのだ。
そこでの主な売上は、社長が仕入れてきた「B'sレコ○ダー」(多分バルクのドライブについてきたやつを勝手に引っ剥がして横流しされたやつだったとおもう。)

勢いだけはあった私は、客が来ないなら、売り込めば良いじゃないか、と。
このあたりから結末の想像はついたと思う。

客寄せ→同製品を六倍の価格で販売しているフリージアが迷惑→110→職質→893の仲裁により解放といった道をたどることとなった。(父が地方公務員だったので肝を冷やしたのは言うまでもない)

この一件のせいでバイト先の社長は露店ビジネスは辞めたそう。どう畳んだのかは知るところではない。

あの頃の秋葉原は、アングラ雑誌の体現的な部分も少なからず残っていた気がするし、その一翼を担っていたかと思うと、感慨深い
昔の秋葉原は「得をするために足でいろいろ見回る」といったようなところがあった。それは情報が整備されていなかったのが大きい。
今は情報も整備されており、「損をしないために足でいろいろ見回る」側面が大きくなったような印象がある。

なお、そんな胡散臭いバイトをしていても、普通に就職して普通の人生をある程度進めているので、学生時代何か間違ってもだいたい大丈夫だと思う。 

余談ではあるが、当時学生の身分で所属学部はいわゆる情報系だった。
隣のクラスだったS見君と、M野さんがデートしており、ばったり出会ってしまい、気まずい思いをしたお互いに。

2023/6 どうでもいいことを追記した。

2018年1月3日水曜日

2018年の始まり

一月の3日ですか。

まぁ、まだ仕事始まっていないのでセーフ。

去年の一年間は今後よりよく過ごせるようにする一年でしたかね。
2018年は自分のやりたいことをより先鋭化していきたいと思っています。

時に、私は胸をはってこういえます。

「私は自由です」

何人にも自身の未来を阻害されずに自身の未来を考えられるようになっています。
嫁さんも、チビ2人いますが、まぁあまり負担に感じることはないです。

多分、バキの影響だと思うんですが、「強さ」って「我がままを通せる力」だと思っていて、同様に、自分のやりたいことをやりたいように通せる力、が「強さ」だと思っています。

前の会社にいる中で、自分自身が流されていること、周りの無責任に直面し辟易した際に助けてもらえなかったことが、自分にとって辛くて。

多分、自分の力って足りないな、と思ったからこそ、会社を辞めたんだろうなーと。

んで、やめたからこそ、自分がどうやって他の人と差別化して行けるかってのを考える良いきっかけだったんだろうと、思いますね。

まぁ、システム屋さんとして過ごす上では、今後の10年はまだしもその先はもうわかんないよね。
でも、確実に言えるのは、システムそのものと、業務そのものの両輪を理解できるSEはいつの時代でも需要があって、腐らないし、またシステム屋の中で上級でもない限り英語をしゃべることができないので、システムを、業務を、仕訳を理解できて、広くコミュニケーションをとれる人間に慣れれば、残りの人生安泰なんじゃないかなぁと。

まぁ、それ以前に今の環境になじまないとだめですけどね。




2017年11月26日日曜日

社内SE36歳の転職活動について

前エントリから少し時間が経ちましたが、まぁ、続きを。

転職活動を開始するときには、とりあえず、大手転職サイトに登録しています。
この結果得られたものとしては、「転職理由の言語化」です。

こう考える人もいるかもしれません、「転職活動は転職の理由により行うもの」と。多分これは半分正解でして、たぶん正解は「転職活動は自身のキャリアを正当に評価する場に提供し、自身の市場価値を知ること」でしょう。

私の場合は大手のマイナビ「ミドルの転職」にて転職活動をスタートさせています。
まぁ、年齢もミドルだからね、しょうがないね。。

んでまぁ、何人かのエージェントと話すわけですよ、私の転職理由を。
そのうちに固まってきまして。
・自分のこれまでのキャリアは何だったのか。
・自分はこれから何がしたいのか。
・そして、自分のこれからの仕事に何を求めるのか。

この辺りをまとめるに結構時間かかったと記憶していますが、これを十分に行ったからこそスムーズにいったことは間違いないですね。

あ、ちなみにもしこれを見ている方でかつ都内で転職を考えているなら、
「クライス&カンパニー」って会社が一番対応が良かったですので、連絡とってみてはいかがでしょうか。

んで、そんなこんなで気持ちの整理もついて結局面接したのは数社ですね。

C○○KPADと○RICS SYSTEMの二社。

まぁ、結局前者からは内定をいただけていないので、後者にお世話になる予定です。
・・・二社とも伏字に便利だな!!!

2社とも面接の際に、気をつけたのは一つだけ、これまで渡した私の情報と、
相手が希望している役割とを比較し、相手が自分にどういう能力、役割を期待して面接に来ているのか、それを勘案しましたね。

前者は私の2度のシステム統合の経験から、私にコミュニケーション能力、および会計システムへの知見があると期待しているようだったので、そこの部分を。
ただ、CIOとの面接の際に自身の持つRPAなどへの興味関心の低さからくる否定的な論(其れは一次情報提供者にのみ需要できる福音であること)から落とされたのかな、と。

後者は私のSAPの8年の運用経験を買ってくれた、という感じでしょうか。
まぁ、正直に言うと、後者についてはよくわからないです。今思い返してもなぜ…
特に大きな失敗は面接の際に好きな野球クラブはスワローズって答えたら、
「セリーグで命拾いしたな、パ・リーグの球団をこたえていたらここにはいなかったぞ」
と軽く殺されかけたくらいですね。

とはいえ、前述の「転職理由の言語化」この部分に助けられたのは事実でしたので、
まずはコアとなる自分の気持ちの整理を進められたから、でしょうかね。

ということで、次は内定もらった後の社内への通知について、、、ですが、
これはもう少し後に書く必要がありますね。

2017年10月9日月曜日

社内SE36歳が転職しました。

当方社内SE36歳、転職します。

まぁ、このサイトに対して書くことは年に数度の日記くらいなもので、その時々で考えていることを適切なタイミングで書く必要があって、
それを逃すと結構グダグダになるので、適当に書いていこうかと。

概要は以下の通りです。

転職活動開始時期
2017年6月末

転職活動終了時期
2017年9月頭

転職時期
2017年12月1日

という感じです。
正味2か月と半分くらいで転職できたので、お勧め。
んで、先に書いておくと、この転職で決して年収は上がりません。
その辺はおいおい。

転職の理由
最初は転職する理由を「他の会社」が見てみたいとか、その辺でした。
ただ突き詰めて考えてみると、以下の3点に絞られるのでした。
・現職が「商社の総合職」のため異動の話が現実味を帯びてきた。
 今のシステムの仕事を残り24年継続して行うための転職
・2016年のシステム統合により、これまでやっていた
 「基幹システムの要件定義、基本設計、保守・運用」の業務から離れたため。
・2005年から12年の間に2度のシステム統合の経験を活かせる会社を探したい。

こんなところでしょうか。
さて、ここで「社内SE」の定義について触れておくと、すごくあいまいなのだと思います。私のような「基幹業務システムに対して詳しい」人も「HWをただ管理する人」も「ヘルプデスク業務」も「社内SE」です。

その中で私は「上流工程で○○商社の基幹システムのすべてを担当した経験のあるSE」だと思ってください。
注文、国内販売、貿易、与信管理、債権債務管理、会計、管理会計、外為、これに加えてマスタ管理、、、この辺が主だったところですがすべて担当していました。

まぁ、いかんせん、基幹システムから一歩道を外せばもろいものです。

管理部門としてのシステム部門の仕事はできるのですが、発注部門としてのシステム部門の仕事ができなかった、とか、そんな感じでしょうか。

次回は激動の転職活動について書いてみましょうか。

2017年2月4日土曜日

夢を見た

内容は、会社の人が、何人か集まる夕食会。

何人か遅れて集まり、誰が来るのか知らない私は、あの人は来るのかと、尋ねる。

すると、あの人は「○○○○」へ行っている。と。

?を出すと、今の北海道でいうとと言いながら、中頃を指す。

そしてそれに因んだ歌がテレビから流れ出す。

内容は、熊により両親が死んだような歌。

両親ではなく子供として這って来てほしいという内容。

夢はここで、終わる不気味さに起きる。

2017年1月8日日曜日

SNSとの付き合い方、について

先日、LINEを導入しまして、家族間の連絡に頻繁に使うようになりました。

これで、TWITTER、FACEBOOK、LINEといわゆる日本で利用されているSNSは制覇した、といえるのでしょうかね。

個人的な使い方としては、以下のような感じでしょうか。

・LINE
個人、およびグループ間の連絡ツール

・FB
社会的な生存通知ツール

・TWITTER
情報取得ツール

ここではTWITTERの「情報取得ツール」の側面について書いていきます。

まず、私は「バタフライエフェクト」という映画が好きです、もとい、それの焼き直しともいえるシュタゲから入った口ですが。
あの時、こうしていたら、こうしたらということが再現される、できるのはすごく面白くてですね。
「~あの時自身の選択を変えていたらどうなっていたのかなぁ~」
というのは時折考えることです。

TWITTERには、様々な人がいます。年齢、性別、主義。。。いろいろな考え方があるものですが、
その中で、かつて自身が好きだったもの、をほぼ同時期に好きだったひとが、「今」何をしているのか、が上述の「~あの時自身の選択を変えていたらどうなっていたのかなぁ~」につながっているのかなぁと思う次第で。

勿論、もっと簡単なこととして、学生時代の友人らと話すことでも同じようなことができますが、
それよりも多様性のあるツールとして私は考えています。

生きた情報の取得元が伊集院だけだったころと比較すると大した進歩だとは思いますなぁ。