2017年11月26日日曜日

社内SE36歳の転職活動について

前エントリから少し時間が経ちましたが、まぁ、続きを。

転職活動を開始するときには、とりあえず、大手転職サイトに登録しています。
この結果得られたものとしては、「転職理由の言語化」です。

こう考える人もいるかもしれません、「転職活動は転職の理由により行うもの」と。多分これは半分正解でして、たぶん正解は「転職活動は自身のキャリアを正当に評価する場に提供し、自身の市場価値を知ること」でしょう。

私の場合は大手のマイナビ「ミドルの転職」にて転職活動をスタートさせています。
まぁ、年齢もミドルだからね、しょうがないね。。

んでまぁ、何人かのエージェントと話すわけですよ、私の転職理由を。
そのうちに固まってきまして。
・自分のこれまでのキャリアは何だったのか。
・自分はこれから何がしたいのか。
・そして、自分のこれからの仕事に何を求めるのか。

この辺りをまとめるに結構時間かかったと記憶していますが、これを十分に行ったからこそスムーズにいったことは間違いないですね。

あ、ちなみにもしこれを見ている方でかつ都内で転職を考えているなら、
「クライス&カンパニー」って会社が一番対応が良かったですので、連絡とってみてはいかがでしょうか。

んで、そんなこんなで気持ちの整理もついて結局面接したのは数社ですね。

C○○KPADと○RICS SYSTEMの二社。

まぁ、結局前者からは内定をいただけていないので、後者にお世話になる予定です。
・・・二社とも伏字に便利だな!!!

2社とも面接の際に、気をつけたのは一つだけ、これまで渡した私の情報と、
相手が希望している役割とを比較し、相手が自分にどういう能力、役割を期待して面接に来ているのか、それを勘案しましたね。

前者は私の2度のシステム統合の経験から、私にコミュニケーション能力、および会計システムへの知見があると期待しているようだったので、そこの部分を。
ただ、CIOとの面接の際に自身の持つRPAなどへの興味関心の低さからくる否定的な論(其れは一次情報提供者にのみ需要できる福音であること)から落とされたのかな、と。

後者は私のSAPの8年の運用経験を買ってくれた、という感じでしょうか。
まぁ、正直に言うと、後者についてはよくわからないです。今思い返してもなぜ…
特に大きな失敗は面接の際に好きな野球クラブはスワローズって答えたら、
「セリーグで命拾いしたな、パ・リーグの球団をこたえていたらここにはいなかったぞ」
と軽く殺されかけたくらいですね。

とはいえ、前述の「転職理由の言語化」この部分に助けられたのは事実でしたので、
まずはコアとなる自分の気持ちの整理を進められたから、でしょうかね。

ということで、次は内定もらった後の社内への通知について、、、ですが、
これはもう少し後に書く必要がありますね。

2017年10月9日月曜日

社内SE36歳が転職しました。

当方社内SE36歳、転職します。

まぁ、このサイトに対して書くことは年に数度の日記くらいなもので、その時々で考えていることを適切なタイミングで書く必要があって、
それを逃すと結構グダグダになるので、適当に書いていこうかと。

概要は以下の通りです。

転職活動開始時期
2017年6月末

転職活動終了時期
2017年9月頭

転職時期
2017年12月1日

という感じです。
正味2か月と半分くらいで転職できたので、お勧め。
んで、先に書いておくと、この転職で決して年収は上がりません。
その辺はおいおい。

転職の理由
最初は転職する理由を「他の会社」が見てみたいとか、その辺でした。
ただ突き詰めて考えてみると、以下の3点に絞られるのでした。
・現職が「商社の総合職」のため異動の話が現実味を帯びてきた。
 今のシステムの仕事を残り24年継続して行うための転職
・2016年のシステム統合により、これまでやっていた
 「基幹システムの要件定義、基本設計、保守・運用」の業務から離れたため。
・2005年から12年の間に2度のシステム統合の経験を活かせる会社を探したい。

こんなところでしょうか。
さて、ここで「社内SE」の定義について触れておくと、すごくあいまいなのだと思います。私のような「基幹業務システムに対して詳しい」人も「HWをただ管理する人」も「ヘルプデスク業務」も「社内SE」です。

その中で私は「上流工程で○○商社の基幹システムのすべてを担当した経験のあるSE」だと思ってください。
注文、国内販売、貿易、与信管理、債権債務管理、会計、管理会計、外為、これに加えてマスタ管理、、、この辺が主だったところですがすべて担当していました。

まぁ、いかんせん、基幹システムから一歩道を外せばもろいものです。

管理部門としてのシステム部門の仕事はできるのですが、発注部門としてのシステム部門の仕事ができなかった、とか、そんな感じでしょうか。

次回は激動の転職活動について書いてみましょうか。

2017年2月4日土曜日

夢を見た

内容は、会社の人が、何人か集まる夕食会。

何人か遅れて集まり、誰が来るのか知らない私は、あの人は来るのかと、尋ねる。

すると、あの人は「○○○○」へ行っている。と。

?を出すと、今の北海道でいうとと言いながら、中頃を指す。

そしてそれに因んだ歌がテレビから流れ出す。

内容は、熊により両親が死んだような歌。

両親ではなく子供として這って来てほしいという内容。

夢はここで、終わる不気味さに起きる。

2017年1月8日日曜日

SNSとの付き合い方、について

先日、LINEを導入しまして、家族間の連絡に頻繁に使うようになりました。

これで、TWITTER、FACEBOOK、LINEといわゆる日本で利用されているSNSは制覇した、といえるのでしょうかね。

個人的な使い方としては、以下のような感じでしょうか。

・LINE
個人、およびグループ間の連絡ツール

・FB
社会的な生存通知ツール

・TWITTER
情報取得ツール

ここではTWITTERの「情報取得ツール」の側面について書いていきます。

まず、私は「バタフライエフェクト」という映画が好きです、もとい、それの焼き直しともいえるシュタゲから入った口ですが。
あの時、こうしていたら、こうしたらということが再現される、できるのはすごく面白くてですね。
「~あの時自身の選択を変えていたらどうなっていたのかなぁ~」
というのは時折考えることです。

TWITTERには、様々な人がいます。年齢、性別、主義。。。いろいろな考え方があるものですが、
その中で、かつて自身が好きだったもの、をほぼ同時期に好きだったひとが、「今」何をしているのか、が上述の「~あの時自身の選択を変えていたらどうなっていたのかなぁ~」につながっているのかなぁと思う次第で。

勿論、もっと簡単なこととして、学生時代の友人らと話すことでも同じようなことができますが、
それよりも多様性のあるツールとして私は考えています。

生きた情報の取得元が伊集院だけだったころと比較すると大した進歩だとは思いますなぁ。

2017年の始まり始まり。

2017年になりまして。
それなりに公的なことを書くのは差し控えねばな、というところではあるのですが、
幾つか昨年にあったことをつらつらと。

・4月にすごいことがあった。
前のエントリに該当するものなのですね、まぁ、こういうのは普通簡単に乗り越えるものなのでしょうか。

・10月にITストラテジストを受けた
去年と同じく受けましたが、結果はダメですね。
もうちょっと自身にダメージを受けないような進め方をした方が良いのではないかと思うようになりました。

総じていうと、4月に起きたことを契機に自身が変わらなければならない、とかそういうことを思って行動していたような一年だった、というところでしょうか。

とりあえずは今年はTOEIC(英語ではない)の点数を700点以上を目指してみようかなぁと思っていたりします。
また、セキュリティ関係の資格を取ったりしようかなぁと。

いずれにしても、なにかこう身を切るような飢餓感から抜け出したり、付き合うようにしないといけませんね。

・・・というのも、なにか一つに没頭すると家族にも迷惑をかけてしまっているので。

また、昨年は家庭のほうは円満といえたのではないでしょうか。

長男は(身長は低いものの)好奇心旺盛に育ち、
次男は、遅まきながら主語、述語を使った会話ができるようになりました。

特に次男は、発話が遅かったため、とんでもなく心配していましたが、まぁ、まだ正常の範囲内というところでしょうか。

世の中の親は、こういう後になると忘れてしまうようなことも心配するものなんだなぁ、と思います。

まぁ、あと長男君は幼稚園にてカノジョらしきものができたようですが、まぁ、私からすると理解に苦しむ話なので、なんとも。

自身、いわゆる平均的な一生に近づいているのではないかと思う今日この頃ですね。