2010年6月10日木曜日

価値観の話


価値観、っつーものはひとそれぞれで遠くから見ると同一のように見えても、
近くで見ると異なっていたり、見る角度を変えると往々にして変わってくるもので。

その違いの許容度、柔軟性が社会人には求められ、
許容度、柔軟性が高いといわゆる、「人間ができている」という評価になるのかなぁと。

んで、そういった許容度の低い私にとって
「好き」という価値観は、『金の浪費を許容できるか』と考えています。
だから、ゲームとかその辺には(予算の都合もあるが)金を投入できるんだろうなぁと思っており、
ひっくり返すと、好意を寄せるという行為には少なからず金銭の投資というリスクが内在するものと思っております。

だから、

「好き」と表明しているのにかかわらず、金銭を投資しないのは、
あまりよろしくないかと思ってます。

でまぁ何が言いたいかというと、
よく、駅前とかにミュージシャンがいるじゃないですか。
ついぞ私は聞いたことがないですが、あれにノリノリで参加している人は、
彼らの活動に対して対価を払っているのだろうか、と。

彼らの活動に好意を示すのであれば、投資はすべきと思いますが、
投資をしないのであれば、そういった好意を示すべきではないと思うのですね。

もちろんミュージシャン側の論理からすると、
聞いてくれるだけでOKみたいな、人もいるのは重々承知ですが、
それに甘えてしまうのは受け側として、違うのでは、と。
子供が万引きして親が「子供のしたことですから」
と店長にいっているような、違和感を感じてしまいます。

ミュージシャンの演奏に聞き入る人の話に戻りますが、
そういう人のなかで金銭的にいくばくか「常に」支払っているのだろうか。
それとも、上述の考え方とはまったく異なる理由で良しとしているのだろうか。

たまに悩んでしまうのでした。

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