2014年5月10日土曜日

なければならない、という話。

親になった、というのはもう三年前の話。

子供を持つこと、にあまり積極的にならない理由についてはちゃんと書いてあって自分でもびっくりしているが、その気持ちに変わりはない。

嫁さんも自分も兄弟がいる、なので安易な気持ちで子供は2人ほしいと考えていて、それは実現させた。

なぜ、2人だったのか、3人ではなく、1人でもなく。

ひとえに親の影響であった、と考えていて、ほかの事柄も同様に親が自分にしてくれたように、子供に接すべきだろうと考えている、自然に。

ただ、この自然に考えているのはすごく怖いことで。

比喩として「親の敷いたレールの上」というものを思春期はよく否定しがちだが、今になって思うと、そのレールの上を今ははずれないように、より早く進めるようにビクビクしながらいる。

皮肉なことに、このレールを外れることには恐怖がある。

家長制度は今や昔、私の「家」は実家ではない、姓は引き継いでいるが「別」の家である。

結婚した時、家を買ったとき、折につけ嫁に両親にそう告げ、本籍は結婚した時に変えた。

家の名を守ること、過去の価値観では重要だったとする向きもあり、秩父の山奥出身の母はこの考えが強かったが、同じく和歌山の山奥から故郷を棄て関東に来た父にはこの考えが薄かったからこそ実現したのかもしれない。

このレールが、かつて母が守りたかった家と同じなのか、
と考えると、結局私は親のやっていることと同じであると思えて酷い呪いを受けたものだと。

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